※2018年1月末にクローズしたcarview!個人というサービスがありました。そこに過去寄稿した記事を再掲載いたします。原文ママなので掲載時とは多少異なる箇所があるほか、名称なども掲載当時のママとなっておりますので、ご留意いただきますようお願い申し上げます。
何をもって自動車メーカーと規定するのか、様々な見方がありましょう。とくに、電気自動車がリアリティを持ってきた昨今は、電気自動車が主流の時代になったら既存の自動車産業の構造を変えてしまうという意見もあるようです。そこには、エンジンを作っていることが自動車メーカーの優位性という見方があるのでしょう。
しかし、自動車メーカーというのはパワートレインによってメーカーとして成立しているわけではないともいえます。少量生産メーカーの中には自社ではエンジンを生産せずに、車体の設計と組み立てだけを行なっているケースもありますから。具体的にはロータスは、主にトヨタのエンジンを使ったスポーツカーを生産していますが、ブランドとしてトヨタの色はほとんど感じさせず、あくまでもエンジンサプライヤーとして位置付けているように見えます。また、F1の世界でも車体を製造するほうが主体であり、パワートレインを供給するのはサプライヤーという立場で、車体こそが差別化のポイントになっています。逆にシャシーが一種類で、エンジンサプライヤーが複数あるというスタイルのモータースポーツもありますが。
それはさておき、いずれにしても、自動車メーカーであることとパワートレインの製造能力は関係なく、あくまでも車体を設計できることが自動車メーカーであるための必須項目。そもそも自動車の三要素といわれる「走る・曲がる・止まる」のうち、パワートレインは走る部分を担うだけで、曲がる・止まるに影響するのはボディ(シャシー設計)です。また、アクシデントにおける衝突安全性についてもボディが主役であり、いまのクルマに求められている性能のうち、エンジンが担っている領域は意外に大きくない(それが自動車メーカーの優位性ではない)と理解できるのではないでしょうか。
つまり、パッケージングやハンドリング、パッシブセーフティを考慮した車体を設計して作り上げることが自動車メーカーであることの価値。そう考えると、電気自動車になったからといって家電メーカーが安易に参入できるなどということはあり得ないことがわかるでしょう。電機メーカーが持つモーターやバッテリーの製造・制御に対するノウハウは重要ですが、あくまでもサプライヤーとしての価値にとどまると予想します。
たしかに自動運転における決定的な制御システムが生まれて、それが絶対的なOSのようにクルマを支配するという時代になると、自動車メーカーの影響力は落ちるという風な見方もありましょう。ただ、自動運転状態になっても乗り心地の良しあしはシャシー設計の領域であり、車体を設計・製造するという部分が商品性を左右するということには変わりがないとも思うのです。
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精進します。
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Source: クルマのミライ