勝つか、負けるか。年に1度の鈴鹿8耐には、そのどちらかしかない。勝つ者と敗れる者の間の隔たりは、極めてわずかなものだ。 ※ヤングマシン2018年10月号(8月24日発売)より
強力になったライバルと不確定要素が襲いかかる
信じられないほどの僅差──。
1周5.821kmの鈴鹿サーキットを8時間かけて199周走り、優勝したヤマハファクトリーレーシングチームと2位レッドブルホンダwith日本郵便の差は、わずか30秒974 だった。「スプリント耐久」と称される鈴鹿8耐のシビアさが改めて浮き彫りになった。優勝し、4 連覇を果たしたヤマハは、バイクのレースに勝つためにもっとも重要なものを握っていた。
’15〜’17年と3年連続で鈴鹿8耐に勝ち続けていたヤマハ。だが、今年はライバルもひときわ力をつけてきた。プライベーターと提携する形で参戦していたホンダは、ついに10 年ぶりにファクトリー体制を復活させ、勝利への闘志を剥き出しにした。そして昨年ヤマハに惜敗したカワサキチームグリーンは、スーパーバイク世界選手権(SBK)で史上初の3連覇を成し遂げたジョナサン・レイを起用。予選では2分5秒168という鈴鹿8耐史上最速のタイムを叩き出し、「市販車マシン最速・最強の男」の真価を見せつけた。
一方のヤマハには、負けてもおかしくない要素がいくつかあった。ひとつは、マシンだ。ヤマハは’15年にデビューしたYZF-R1を使い続けている。実績のあるマシンだが、その間に「打倒R1」をめざしてモデルチェンジを果たしたホンダCBR1000RR SPやカワサキZX-10RRに比べて、もはや有利といえるスペックではなかった。さらに7月28日(土)に行われたフリー走行でエースライダーの中須賀克行が転倒。ペースの遅いライダーを避けるための出来事だったが、マシンから放り出された中須賀は肩を痛め、以降の走行セッションをすべてキャンセルすることとなった。ヤマハファクトリーレーシングチームは’15年の結成以来、常に中須賀+外国人ライダー2名という体制で鈴鹿8耐に臨んでいた。そのつど、現役モトGPライダーやスーパーバイク世界選手権ライダーたちが参画していたが、R1のセットアップやレース戦略を立てるうえでの中心的存在は、あくまでも中須賀だった。
エースライダーを欠いての決勝レース。さらに、東から西へという異例の進路で鈴鹿サーキットに近付いた台風12号による、予測困難な雨。ライバルの強力化に加えて、不確定要素までもがヤマハに襲いかかった。だが、ヤマハは勝った。ホンダは2位、カワサキは3位に終わった。冷静に戦局を比較すれば敗北してもおかしくなかったヤマハが、4連覇を達成してしまったのである。
雨の乗り切り方で勝敗は決した
中須賀の欠場が決まった時、チームメイトのアレックス・ローズとマイケル・ファン・デル・マークが動揺することはなかった。むしろ、「よし、オレたちでやってやろうぜ!」と気合いを高めていた。ふたりとも、中須賀に最大限の敬意を払っている。その一方でローズとファン・デル・マークには、SBK優勝ライダーとしてのプライドもあった。ふたりが特に意識していたのは、カワサキのレイ、そしてヨシムラのシルバン・ギュントーリといった同じSBKライダーたちの存在だった。「同じシリーズを戦っているヤツらには負けない」という意地が、プラスに働く。カワサキが満を持して投入したレイが、ローズとファン・デル・マークの火付け役になっていた。
決勝レースでは実際にファン・デル・マークとレイの一騎打ちという場面がたびたび見られたが、ファン・デル・マークには速さとは別の優位性があった。それは、チームとの厚い信頼関係だった。ファン・デル・マークがヤマハファクトリーレーシングチームで鈴鹿8耐を戦うのは、今年で2年目だ。昨年は少々控えめだったが、今年は前向きなやる気に満ちていた。一昨年から昨年にかけてのローズの様子と同じだった。一昨年、初めてヤマハに参画したローズは、やはりおとなしかった。持ち前の明るさを弾けさせるようになったのは、昨年になってからだった。ヤマハの看板を背負い、ヨーロッパでもその名がよく知られる鈴鹿8耐に参戦することは、世界を舞台に戦う彼らにとっても大きなプレッシャーだったのだ。それを解きほぐしたのは、ライダーに全幅の信頼を寄せるチームの姿勢だった。
象徴的なのは、決勝レースが4時間ほど経過した時点で降り出した雨への対応だった。ヤマハとカワサキは予定通りのピット作業を終えたところで、スリックタイヤを履いていた。雨による転倒の後処理をするため、セーフティーカーが導入された。そして解除寸前というところでクラッシュが発生し、セーフティーカーはそのまま継続となった。長いセーフティーカー導入の間に、雨足はますます強くなる。ヤマハのファン・デル・マークがピットインしてレインタイヤに交換する。カワサキのレイがスプーンカーブで転倒したのは、その直後のことだった。すぐピットに戻り修復作業が行われたが、5分近くの大きなタイムロスを招いた。その前に起きていたガス欠が原因と思われるスローダウンも響き、カワサキは王座から遠ざかった。レース後、レイは「僕はピットに入りたかったんだけど、チームから『STAY(コースに留まるように)』というサインが出ていたから、ピットインしなかったんだ」とコメントした。
同じ時、ファン・デル・マークに対して、チームからの指示はなかった。コース状況は、実際に走っているライダーが1番よく分かっている。ヤマハは、ピットインするもしないもライダー自身が判断することになっていた。もちろん、ピットインの有無によって後々の作戦に影響が出る。だがそれは、改めてチームがプログラムし直せばいい。チームは戦略を立てはするが、実際にどうするかという決定権は、走っているライダーの掌中にあった。
実はホンダも、雨の中でヤマハに差を付けられていた。事前テストで転倒・負傷した正ライダーのレオン・キャミアに代わり、急遽代役として参加したパトリック・ジェイコブセンは、雨の鈴鹿サーキットの経験がなかった。鈴鹿の雨を知るファン・デル・マークとの差は広がる一方だった。それでも、最終的にはヤマハの30秒後ろにまで追いすがったのである。
ホンダもカワサキも、本当に「わずかな差・わずかな違い」でヤマハに敗れたのだ。逆に言えば、ヤマハもいつ「わずかな差・わずかな違い」で敗れるともしれない。ただし、この「わずか」の正体──ライダーとチームが織りなす信頼関係の構築には、それなりの時間がかかるのも確かだ。
撮影:佐藤寿宏/箱崎太輔/ヤマハ/ホンダ
Source: WEBヤングマシン