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日本車LEGEND#5(昭和58〜60年)レーサーレプリカ大航海時代

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日本が生んだ伝説の名車たちを紹介する新シリーズ。国産市販バイクが世界の頂点に上り詰めた昭和44年(1969年)から現代に至る50年の間に登場した”エポックメイキングなロードスポーツ”をテーマににお届けする。本稿は昭和58~60年(1983〜1985)、”レーサーレプリカ大航海時代”編。

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目次

フルカウルとセパハンの認可が下り、本格レーサーレプリカが次々と放たれる

時代の主流は空冷エンジンから水冷エンジンへ、そして大型バイクは世界最速を目指してしのぎを削り合った。それにやや遅れてはじまったのがレーサーレプリカブームだ。昭和55年(1980)に登場したヤマハRZ250が当時の同TZ250と設計思想を共有していたことから「レーサーそのまま」という言葉が雑誌に踊り、若いライダーたちを熱くさせた。そして昭和58年に登場したのがスズキRG250Γだったのだ。フルカウルをまとい、セパレートハンドルを装着した姿は、まさしくレーサーレプリカ(レーシングマシンの複製)そのものととらえられ、熱狂のレーサーレプリカブームがはじまることになる。昭和58年(1983)には東京ディズニーランドが開園し、任天堂ファミリーコンピュータが登場。昭和59年(1984)には週刊少年ジャンプでドラゴンボールの連載がはじまり、前年の北斗の拳などと合わせてジャンプ黄金期を迎える。昭和60年(1985)には夏目雅子が死去し、西遊記ファンなどに衝撃を与えた。

カウル×セパハンの本格レーサーレプリカ RG250Γ

’83年、保安基準が改正され、ついに国内でもレーサー的なカウリングとセパレートハンドルが認可されることになった。この機を捉え、いち早く登場したレプリカ路線のマシンがRG250Γである。量産車初のアルミフレームをはじめ、「ヤッコ凧」と呼ばれた大型カウル(オプションでフルカウルもあり)やセパレートハンドル、流行のフロント16インチ、サイレンサー別体式チャンバーなどを採用。レーサーそのままの姿は、ライバルが時代遅れに見えるほど革新的だった。さらに並列2気筒はクラス最強の45psを発生。RZより軽い131kgの車体もあり、市販車レースで好成績を博した。以降のレプリカブームを決定付けた1台である。

【SUZUKI RG250Γ 昭和58(1983)年】主要諸元■水冷2スト並列2気筒パワーリードバルブ 247cc 173kg(乾) 45ps 3.8kg-m■131kg(乾)

GSの魂を継いだ元祖4ストミドルレプリカ GSX-R

’83年は、鈴鹿8耐で王者に輝くなどスズキの耐久レーサー、S1000Rが旋風を巻き起こした。2眼ヘッドライトにハーフカウル、そしてヨシムラ譲りの集合サイクロンマフラーというGSの特徴を市販車に落とし込んだモデルがGSX-Rである。心臓部は GSX400FW譲りの水冷直4で、クラス最強の59psをマーク。さらに400初のアルミフレームを採用し、CBRやFZより10kg以上軽い152kgを実現。デカ・ピストンブレーキ(車両全体で10個のキャリパーピストンを備えるの意)などの斬新なメカも備えた。爆発的なヒットとなり、ここから4ストローク中型レプリカの時代が始まったのだ。なお、車名は排気量を超えた性能を示すため、敢えて「GSX-R」としたのが粋である。

【SUZUKI GSX-R 昭和59(1984)年】主要諸元■水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブ 398cc 59ps 4.0kg-m■152kg(乾)

レーサーと共同開発でヤマハハンドリングを体現 TZR250

Γらのライバルに対抗すべく、’85年11月にヤマハが送り込んだ刺客がTZR250だ。市販レーサーTZ250との共同開発により、TZ直系の水冷パラツインと直線的なアルミ製デルタボックスフレームを採用。WGPマシンのYZR500と同様、先進のクランクケースリードバルブも獲得した。これをTZと見紛うフルカウルに包む。車体は乾燥重量126kgと軽く、前後17インチのコンパクトさも美点だ。エンジンはシャープかつ広いパワーバンドを有し、ハンドリングも自由自在。この扱いやすさが支持され、一気に2ストロークレプリカの頂点に躍り出た。同時に、この頃から確立してきた「ヤマハハンドリング」の象徴ともなったマシンだ。

【YAMAHA TZR250 昭和60(1985)年】主要諸元■水冷2スト並列2気筒ケースリードバルブ 249cc 45ps 3.5kg-m■126kg(乾)

初代F3王者と並行開発、懐の広さも一線級 FZ400R

’84年から開幕する全日本TT-F3参戦を睨み、ヤマハがワークスレーサーを投入。これと同時開発された公道モデルがFZ400Rだ。XJ400Zの水冷直4を改良し、クラス最高の59psを達成。これを角断面の鉄ダブルクレードルフレーム+アルミスイングアームの車体に積んだ。低く構えたカウルも実戦的で、高い空力性能が自慢。その戦闘力は高く、全日本F3でワークスマシンが見事、初代王座を獲得している。同時にF16インチながら扱いやすさと高バランスを兼備し、幅広い層に愛された。以後、マイナーチェンジや’86のフルカウル化を経て、モデルサイクルの短い時代に’88年頃まで販売。これも懐の広い走りが支持された証だ。

【YAMAHA FZ400R 昭和59(1984)年】主要諸元■水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブ 399cc 59ps 3.7kg-m■165kg(乾)

ケニーの王機を再現した孤高のV4 RZV500R

400ccレプリカが隆盛する’84年、ヤマハから究極のマシンが送り込まれた。当時最高峰のWGP500でK・ロバーツが駆り、王者に輝いたYZR500(OW61)のフルレプリカ、RZV500である。車体レイアウトやVバンク角(40→50度)は異なるものの、完全新設計の水冷2ストロークV型4気筒は、GPマシンと同じく2軸クランクと4本出しサイレンサーを踏襲。前2気筒がピストンリードバルブ、後側がクランクケースリードバルブという異色の吸気方式も市販車初となる。国内仕様は64psながら、比較的簡単にフルパワー88psを取り戻すことが可能だった。車体はコンパクトで、250㏄並みのホイールベース1375mmを実現。ヤマハ初のアルミフレームに水平配置&下置きのリヤサスなど贅を尽くした。まさにGP気分が味わえる1台だ。

【YAMAHA RZV500R 昭和59(1984)年】主要諸元■水冷2ストV型4気筒ピストン&ケースリードバルブ 499cc 64ps 5.7kg-m■173kg(乾)

天才の気分に浸れる、クラス唯一のV3 NS400R

ホンダワークスのNS500は、’82~’83年のWGPでF・スペンサーがライドし、’83年に史上最年少で初タイトルを獲得した栄光のマシン。ライバルが4気筒なのに対し、1軸クランクのV型3気筒を採用していた。その公道レプリカがNS400Rだ。GPマシンの前1&後2気筒に対し、熱処理の問題などで前2&後1気筒を選択。MVX250Fと並び、現在まで唯一の市販V3で、他のビッグ2ストよりコンパクトな車格やクラスナンバー1のトルクが持ち味だった。車体は、角断面アルミフレーム、空気圧でプリロードが調整できるエアアシストサスを採用。NS500と同デザインのアルミコムスターホイールをはじめ、HRCのトリコロール、ロスマンズカラーといった車体色もまさにWGPマシンそのものだった。

【HONDA NS400R 昭和60(1985)年】主要諸元■水冷2ストV型3気筒ピストンリードバルブ 387cc 59ps 5.1kg-m■163kg(乾)

RCV-S並み? リアルGPレプリカの金字塔 RG500Γ/400Γ

WGP500で’76年から7年連続メーカータイトルを獲得したスズキ。その中核こそRG500Γである。’83年以降ワークス参戦を休止するが、その2年後に突如、同名の公道モデルが姿を現した。特筆すべきは、徹底したレプリカ度だ。スクエア4の心臓をはじめ、排気量、ロータリーディスクバルブ、ボア×ストローク=56×50.6mmまでレーサーと同一。さらにクランクケース形状や、2軸クランクの軸間距離も同じ。高価なカセット式ミッションまで搭載した。フルパワーで驚異の95psを発揮し、アルミフレームなどで軽さを追求した車体も156kgとライトウェイト。「2スト最強」の称号を手にした。400 版が用意されるのも特徴だ。

【SUZUKI RG500Γ/400Γ 昭和60(1985)年】主要諸元■水冷2ストスクエア4気筒ロータリーディスクバルブ 498cc 64ps 5.8kg-m■156kg(乾) ※数値は500Γ

戦場はストリート、時代に抗ったミドルNinja GPZ400R

サーキットとレプリカがブーム真っ只中の’85年、カワサキが独自のストリート路線を歩むGPZ400Rを発売した。前年に登場したGPZ900Rのミドル版となる存在で、エンジンは輸出向けのGPZ600Rがベース。これをアルミ製で独特なX字を描くアルクロスフレームに搭載する。ライポジもアップハンドルに低シート高とあくまで公道向けの設定だった。軽量コンパクトなレプリカに対し、重厚長大なボディやナナハン並みの130mmリヤタイヤのフォルムに人気が集中。居並ぶレプリカを抑えて、’85~’86年のベストセラーを記録した。流行に左右されず、信念を貫き成功を収めたGPZ 。その精神は後年のZZRにも受け継がれる。

【KAWASAKI GPZ400R 昭和60(1985)年】主要諸元■水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブ 398cc 59ps 3.6kg-m■176kg(乾)

レーサーレプリカだけじゃない

レプリカブームと同時代に熱かったのはスクーター。奇想天外な排気バルブシステムや軽量ハイパワーの追求などにより、爆発的なヒットを飛ばして空前のバイクブームにおける販売台数のかなり大きな部分を担った。現代へと続くロングセラー・セローが登場したのもこの頃だ。

初物尽くしの最強スクーター BEAT

水冷2ストローク単気筒をはじめ、密閉型のMFバッテリー、2灯式ハロゲンライトなどバイクで世界初の機構を満載したビート。当時の自主規制値上限である7.2psを叩き出し、ヒーローメカ然としたデザインも斬新だ。最大の特徴は、排気デバイスのV-TACS。ペダルを踏むと、サブチャンバーへの排気経路が閉鎖され、高回転パワーを促進する。

【HONDA BEAT 昭和58(1983)年】主要諸元■水冷2スト単気筒ビストンリードバルブ 49cc 7.2ps 0.73kg-m■60kg(乾)

軽量ハイパワーで大ヒット JOG

従来のスクーターとは一味違うスポーティな樹脂製ボディに、4.5psの強心臓を搭載したジョグ。乾燥重量49kgと軽量だった上に、発売当時はリミッターが非採用で、スピードメーターも70km/hまで刻まれるなどストリートで猛威を奮った。しかも10万円を切る価格だったため、1年半で約30万台という爆発的ヒットを記録したのだ。そのモデル名は現在も受け継がれている。

【YAMAHA JOG 昭和58(1983)年】主要諸元■空冷2スト単気筒ビストンリードバルブ 49cc 4.5ps 0.54kg-m■49kg(乾)

打倒ジョグNo.1でDJ-1?! DJ-1

ジョグ登場から2年後、ライバルの打倒を目指してホンダが投入した意欲作。前輪を覆う大型のフロントカバーやウインカー一体型のヘッドライトなど、洗練されたデザインが特徴だ。さらに出力もジョグを上回る5.2psを発揮。前後タイヤもワンサイズ大きく、安定感に優れていた。車名は「打倒ジョグ1号機」が由来との噂も!

【HONDA DJ-1 昭和60(1985)年】主要諸元■空冷2スト単気筒ビストンリードバルブ 49cc 5.2ps 0.6kg-m■52kg(乾)

いまに続くベストセラートレール SEROW225

’80年代中盤、オフロードでも高性能化が進む中、大自然を満喫できる走破性を狙ってリリース。エンジンはXT200の196cc単気筒をベースに223ccまで拡大。これは物理的な限界に加え、バランスを追求した結果、生まれた排気量だ。左右51度の大きなハンドル切れ角や良好な足着き性が好評で、都会のライダーからも人気を得た。

【YAMAHA SEROW225 昭和60(1985)年】主要諸元■空冷4スト単気筒SOHC2バルブ 223cc 20ps 1.9kg-m■102kg(乾)

昭和~平成を駆け抜けた国産名車たち [日本車LEGEND] (その1)はこちら
昭和~平成を駆け抜けた国産名車たち [日本車LEGEND] (その2)はこちら
昭和~平成を駆け抜けた国産名車たち [日本車LEGEND] (その3)はこちら
昭和~平成を駆け抜けた国産名車たち [日本車LEGEND] (その4)はこちら
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Source: WEBヤングマシン

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