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イギリスの公道で318km/hで逮捕された事件の真相を、トップシークレット永田和彦が語る!
「あ、会社つぶれちゃった…。あのときはそう思った」。そのように当時を振り返るスモーキー永田。“あのとき”とは、もちろん「イギリスの公道で世界一のスピード違反を記録して逮捕」され、世界中に衝撃を与えた事件だ。
イギリスのチューニング雑誌との出会い
遡ること20年。1998年の1月、東京オートサロンの会場が全てのはじまりだった。
東京オートサロンへ取材にきていたイギリスのチューニング雑誌「MAX POWER」がトップシークレットのチューンドGT-Rに感激し、イギリスで開催されるモーターショーへの出展を熱烈オファーしてきたのだ。当時のイギリスではGT-R人気が凄まじく、現地価格で1000万円を軽く超える高級車、みんな憧れのスーパーカーだったのだ。
残念ながらトップシークレットのGT-Rはその時期、別の予定が入っていたため、替わりに0-300バトル仕様として仕上げていたRB26DETT搭載のスープラをひっさげて、1998年10月25日にイギリスへ向かった。
「イギリスのモーターショーでは大好評だった。まわりにはイタリア車やフランス車のチューンドが並んでいるだけだったので、金色のスープラは相当のインパクトがあったみたい」。
じつはこのイギリスのモーターショーはかなりお堅いイベントで、日本で言えばオートサロンではなく東京モーターショーに近い雰囲気だったそう。そんなイベントにMAX POWER誌はブースを出展し、チューンドを5台ほど展示していたのである。
「でも、この期間は日本でドラッグレースのシーズンでさ。忙しかったから10月30日に途中で帰国したんだよね」。
11月3日、ふたたびイギリスへ。
「今度は出展車両の引き取りと、MAX POWERの取材だった。11月4日の朝からサーキットでウチのスープラを走らせて、夜はストリートって流れだったかな」。
事件はそのストリート取材中に発生した。
3台のパトカーに囲まれた!
「ロンドンから北へ2時間ほど行った街の高速道路、たしかA-1という名前だったと思うんだけど、ここが交通量は少ない上に4車線あってめちゃくちゃ走りやすかったんだ」。
時間は午前4時。撮影をはじめてからもう2時間が経過している。そろそろ撤収しようと考えて300km/hから減速をはじめたくらいのときに、スープラのバックミラーに凄まじい勢いで追いかけてくるパトカーの姿が映った。
「やべー!!って、瞬間いろいろなことを考えたよ。正直、会社が潰れることも覚悟した。当時のイギリスの法律って交通違反に厳しかったからさ。スピード違反だけで、日本で言えば人身事故なみの罪になっちゃってたし」。
無線で連携され、アッという間に3台のパトカーに囲まれたスモーキー永田。言葉も何もわからないまま、その場で逮捕されてしまったのである…。
「いろいろ言われたけど、あとで思えば権利や逮捕後の手順の説明だったんだろうね。茫然自失になったボクは、スープラの助手席に婦警さんを乗せて、そのまま警察に向かったんだよ…」。
4m×2mの小さな留置所で最悪の未来を想像しつづけた
警察に到着。
すぐに取り調べがはじまったものの、時間は早朝の6時。通訳を手配するにも時間が早すぎるため、そのまま留置所に送られた。
留置所は4m×2mのコンクリート部屋だった。暖房もなく、ちいさい窓がひとつ。固いベッドと壁にしきられたトイレ。
「徹夜だったけど、全然眠くならなくて…。気温が1度あるかないかの寒い部屋の中でひとり、頭のなかでは最悪の未来を想像しつづけた。懲役何年かな? 会社潰れるかな? 日本から面会にきてくれるかな? でも、どうせ誰もきてくれないんだろうな! 何年か経って日本に帰ったら、トップシークレットの看板の代わりに違う看板が出てるんだろうな!とか」。
300km/hを認めたら日本に帰れない!
朝9時、ようやく通訳が見つかり、本格的な取り調べが開始された。
「とにかく認めたら日本に帰れないなって思った」。
じつは、このイギリスでの公道0-300km/hアタックの模様はイギリスの雑誌だけではなく、日本からも取材が来ていた。もちろん、暴走専門ビデオ「ビデオオプション」である。そしてまずいことに取材用にまわしていた車載カメラのビデオテープが、イギリスの警察に押収されてしまったのだ。
テープの内容を見られたらおしまいだ。
「300km/hオーバーがバッチリ録画されていたわけだからね。もう焦ったよ」。
ところが、幸いにも日本とイギリスではビデオの規格が異なり、簡単にテープの中身を確認することができなかったのである。
ただし、イギリスの法律では、スピード違反はパトカーが制限速度を越えた時点で前のクルマに追いつけなかったら成立してしまう。
「おまわりさんはしきりにカメラのことを気にしていたよ」。
なぜカメラを積んでいたのか? いったいなんのためにあんなスピードを出したんだ? 矢のような質問が警察官が浴びせられる。
「とにかく趣味です!の一点張り。たまたまスピードを出したら、カメラマンがいただけって。どうも警察はMAX POWERを叩きたかったらしいんだよね。チューニングが叩かれるのはどの国もおなじってわけ」。
奇跡の判決、そしてヒーローへ
その日の午後から裁判。
「外国人だったから急いでくれたのかな。とにかく“偶然スピードを出してしまったときに捕まってしまった。カメラマンがいたのも偶然。車載カメラが積まれていたのも偶然”で押し切ったんだ」。
判決は予想以上に軽い28日間の免停と、3万円の罰金だった。
「全身の力が抜けたよね。それから押収されたスープラを取り返してホテルに帰って倒れるように眠ったんだ」。
次の朝、帰国のために荷物を整理していたらMAX POWERの取材班から電話がかかってきた。
「ナガタか。いま外に出るな! ロビーに新聞記者やテレビ屋が大勢いる!」。
300km/hオーバーの逮捕劇はイギリス国内で大々的に報道され、自分の想像をはるかに超える大事件になってしまっていることをスモーキー永田はこのときはじめて知った。
気づかれぬようホテルの裏口から抜け出すと、まっすぐ空港へ。もうこれ以上余計なことはごめんだ。
そして無事に日本へと帰国。
それからしばらくして、MAX POWERのスタッフからこんな情報がスモーキー永田の元へ舞い込んできた。
「イギリスのクルマ好きたちの間でナガタの人気がヤバイことになっている! 300km/hオーバーで逮捕された伝説のジャパニーズチューナーってね! ヒーローだ! だから、またきてくれ!」。
そう、いつの間にかスモーキー永田は伝説の200マイル・モーターウェイレーサーとして、世界中のチューニングファンのあいだで神のような存在になっていたのである。
「びっくりだよ。事件以来、海外のお客さんが増えてさ。外国人からサインを求められる機会も多くなったんだ。でも、イギリスにはしばらく行く気がしなかった。塀のなかで過ごしたあの悪夢が忘れられなくてね…。長い人生いろいろなことを経験してきたけど、あれは間違いなく“最悪”のひとつ!」
“心の整理”がつくまでには、10年以上の歳月が必要だった。
スモーキー永田がイギリスを再び訪れたのは事件から11年後、2009年のことである。
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Source: clicccar.comクリッカー