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スズキはロータリーエンジンの2輪車を市販していたのをご存知ですか?【RE追っかけ記-12】

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ヴァンケルREの特許共同所有社であったNSUは、第2次大戦後、世界最大のモーターサイクルメーカーとなりました。1950年代2輪ロードレース世界チャンピオンシップは、4クラス(その後50ccが加わり5クラス)でしたが、NSUは250ccと125ccを制覇しました。NSUのオペル技術者出身フォン・ハイデカンプ社長は、GPの功成れりと、2輪世界速度記録樹立に転じます。最初の50cc2ストロークに用いたのがフェリックス・ヴァンケルのロータリー・スーパーチャージャーでした。これが、NSUとヴァンケルの繋がりとなります。

スズキRE5は、REライセンス取得した日本メーカーで唯一市販、それも欧米市場限定のモデル。

NSUは、戦前自動車メーカーでした。フォン・ハイデカンプは、2輪から撤退し、小型、そして中型乗用車メーカーに徹します。2輪の市場、そしてGPレースは、ホンダが王座に登り、2、4輪併行展開するのはご存知の通り。ホンダ以外の日本2輪メーカー3社、スズキ、ヤマハ、カワサキはヴァンケルREライセンスを取得し、開発にかかります。

スズキは、革新エンジンを搭載した新モデルのデザインをイタリアのジオゲット・ジウジアーロに託した。味のあるジウジアーロのコンセプト・スケッチの1枚。

結局、生産、販売したのはスズキだけでした。欧米専用、それもアメリカ優先でした。日本の発表イベントの記憶はなく、RE5の取材は日英両語デザイン誌CAR STYLING対象でしたので主にデザイン。試乗は後日のカリフォルニアとなりました。

ジウジアーロのレンダリング2案。REの簡潔美を強調した、スリムで水平ラインの通ったデザインを意図したようです。

REは、基本的構造は通常往復ピストンに比べ、簡潔なはずです。コンセプト・スケッチ、レンダリングを見ると、ジウジアーロは、シンプル&クリーンなスポーティ(ギンギンではなく)バイクを意図したのではないかと推測します。エンジンは水冷1ローター、単室容積497cc、気化器仕様で、エクセントリックシャフト(クランクシャフトに相当)を横置きし、5速トランスミッションを介し後輪をチェーン駆動します。

RE5のユニークな特徴、茶筒形計器盤。スイッチオンで開きます。

RE5はローターハウジング冷却の大きなラジエーターを備えます。スズキは、マツダの乗用車REのサイド吸入方式に対し、ローターハウジング周辺位置、「ペリフェラル」あるいは「ペリ」・ポートを選びます。独NSU、メルセデス自動車REもこの吸入方式です。スズキは、低中速柔軟性を確保すべく、たいへん複雑な気化器・吸気システムを採用しました。

また、高温排気の温度を下げるため、左右2本の排気マフラーに分け、エンジン直後マニフォールドはフィンつきです。

水冷1ローターREは原理的にはシンプルな構造ですが、大型ラジエーター、吸排気システムなどが複雑、かつスペースを取ります。

かくして、シンプルな筈のREも、かなりかさばり、また重くなりました。乾燥重量230kgは、先行発売していたスズキGT750(2ストローク、水冷並列3気筒750ccの219kgより重く、最高出力はGT750の50 kWに対し46kWにとどました。

スズキは、大型分野進出に水冷2ストローク並列3気筒750ccを搭載したGT750を1971年発売しています。エンジン以外は、この時期の“UJM”典型デザイン。

スーパーバイクというより、異色のツアリングバイクだったのです。
マエストロと呼ばれるジウジアーロのアイデアでも、スズキのデザイナーたちは、エンジンはともかく、補機類詰め込みには苦労したことでしょう。

外観は、独特エンジン造形とジウジアーロの奇妙な茶筒形計器盤以外は、UJMクリーンアップにとどまったというのが私の感想です。そうそう、ホンダCB750に端を発し、大型バイク市場を活性化し、席巻した日本の750cc車群でしたが、いっぽうで『UJMシンドローム』=『普遍的日本モーターサイクル症候群』なる画一性を批判されたものです

ここで、脱線します。日本のナナハン猛攻にさらされた英欧勢の反撃に触れましょう。BMWは、ノイエクラッセ=新クラス1500セダン、つづく2ドア・「02」シリーズの成功で、急成長メーカーとなります。そこに乗り込んだのが名うてのカーガイでバイク愛好者のオーストリア家系アメリカ人、ボブ・ラッツで2、4輪の商品企画を指揮します。

1973年の衝撃、それまで水平対向2気筒以外は、デザインに保守的だったBMWが“ビキニカウリング”のR90Sを放ちます。

彼は、その後フォード・ヨーロッパ社長、クライスラー社長、GM副会長を歴任します。自動車では、02に巨大ターボをつけた2002 TURBO、CSを軽量化し大きなウイングをつけた3.0 CSLなるモンスターを放ちます。

BMWは続いて量産車最初のフルカウリングのR100RSを投入しました。ひざまずくのがチーフデザイナー、ハンス・ムート。

これは、1973 年ミュンヘンでラッツに聞いた話です。ラッツ、BMW以前GM期には、ホンダCB750に乗っていたとバイク愛好者です。BMW水平対向2気筒シリーズは、/2と呼ぶ一新型に進化していました。ラッツ御大、2輪開発責任者に問いました。「ウチのバイクは、ドイツシェパードみたいに性能はいいが、外観は無骨だ。デザイナーは誰だ」返事は、「デザイナーはいません。やりたがってウルサイのが一人います」、「すぐ呼べ」現れたのが独フォード出身の若手インテリアデザイナー、ハンス・ムートでした。かくして生まれたのがビキニカウリングとグラデーション塗装のR90S、そして生産車最初のフルカウリングR100RSでした。

BMW R90S、R100RSの仕掛け人がBMWマーケティング製品企画役員、GM出身のオーストリア系アメリカ人、ボブ・ラッツで、4、2輪両方に活気を与えました。1973年取材時。その後、ラッツはヨーロッパ・フォード社長、クライスラー社長、GM副会長を歴任します。彼のオフィス壁には、レーシングカーとバイクの写真。

英トライアンフの日本車邀撃機はユニークでした。トライアンフ3気筒750ccをアメリカ人後付けカウリング製作者、クレイグ・ヴェッターに委託したのが、「トライアンフ・ハリケーン」で、ヴェッターはチョッパー的ネイキド・デザインを提案、限定生産します。

英トライアンフが起用したのがアフターマーケット・フェアリングで成功したアメリカ人、クレイグ・ヴェッター。フェアリングから転じてチョッパールックの暴風が「ハリケーン」。

さて、GT750、RE5で苦労したスズキ逆襲の助っ人は、独立していたハンス・ムート。スズキ・“カタナ”が切り込みます。(つづく)

GT750、RE5なる革新が不発に終わったスズキの反撃がBMWを離れ独立したハンス・ムートの「カタナ」です。空冷OHC並列4のスーパーバイク本流に侵攻、成功します。

(山口 京一)

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Source: clicccar.comクリッカー

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