WEBヤングマシン
ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に、その総責任者として活躍。関係者だけでなく一般のファンにも広く知られた山田宏さんに、かつてのタイヤ開発やレース業界にまつわる話を、毎回たっぷり語ってもらいます。今回は、後のMotoGPにおける活動の礎となった、ロードレース世界選手権にGP125で挑戦したときの話を中心に。 TEXT: Toru TAMIYA googletag.cmd.push(function() { googletag.display(“div-gpt-ad-1561714194564-0”); }); googletag.cmd.push(function() { googletag.display(“div-gpt-ad-1561714210239-0”); }); 上田昇選手の優勝、そしてWGPフル参戦を決定したTSR 1991年というのは、ブリヂストンにとって非常に重要な年となりましたが、シーズンオフの段階では“そんなこと”が起こるなんて、まるで想像すらしていませんでした。前年同様、この年の全日本ロードレース選手権もGP250用タイヤの開発をメインと…
続きを読む>>山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.4「前触れもなく訪れた世界選手権への挑戦」