1月14日に亡くなった俳優の夏木陽介さんと言えば、筆者的には「パリ・ダカールラリー」を連想してしまう。本人にお会いしたただ1度の機会がちょうど30年前の第10回大会だったので。
当時は「チーム三菱シチズン夏木」の監督。ドライバーは篠塚建次郎、クルマはもちろんパジェロだ。時あたかもRVブームの絶頂期。パジェロと言えば、トヨタのランドクルーザー、日産のテラノと並ぶ人気車種だ。四輪駆動など全く必要のない東京都心部で、そんなクロカン車がわがもの顔に走り回っていたっけ。そのパジェロがラリーの王様ともいうべきプジョーとがっぷり四つに組んで日本中を熱狂させたのが1988年のことだった。アリ・バタネン、ユハ・カンクネンの強力2トップをドライバーに据え、メーカーの威信を懸ける砂漠のライオンは、潤沢な資金力を背景に圧倒的なサポート態勢を敷き、誰がどう見てもぶっちぎりの優勝候補。対する三菱はワークスではあるものの、対抗馬としての前評判はさほど高くなかった。
過酷なコース設定により屈強なマシンが次々と脱落する中、篠塚の駆る215号車はほぼノートラブルで粘り強くスペシャルステージをこなしていく。同僚のアンドリュー・コーワン、ピエール・ラルティーグが終盤に無念のリタイアを強いられたが、篠塚はプジョーの2台に次ぐ3位に付ける。ここで前代未聞の出来事が起きた。首位を快走するバタネンのプジョー405が、夜間の保管場所からこつぜんと姿を消してしまった!そしてチーム監督のジャン・トッド宛てには身代金を要求する電話が…。すったもんだの末、クルマは無事発見されたものの、規定のスタート時間をオーバーして失格。このハプニングで篠塚は2位に繰り上がり、そのままダカールまで走りきった。
当時、「誘拐犯」として疑いをかけられたのが実は夏木監督という。優勝を争うライバルチームの責任者とはいえ、全く根拠のない話。ご本人も一笑に付していた。ラリー終了後に戻ったパリではこんなウワサが流れていた。いわく、あれはプジョーの自作自演。マシントラブルの修復に時間がかかったため、不可抗力を装って一芝居打ったのだと――。
10年ひと昔なら、もう3昔も前の話だけど、インタビューに応じる夏木さんは常に紳士的で、配役イメージ通りのかっこよさが今も頭の片隅に残っている。南米に舞台を移し継続している“パリダカ”開催中に天に召されたのも、なにかの縁だろうか。 sponichi.co.jp
Source: 新車速報 Car Drive