前回、「東京エキサイティングカーショー」の時代、1983年から1986年の4回分をチェックしました。今回は「東京オートサロン」と名称変更された1987年からのショーマシンを見ていきましょう。切った貼った!?の武骨でカッコ良い改造車から、小洒落たチューニングカーへと進化していった時代です。では、ドーゾ!
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目次
【東京オートサロン1987】
1987年1月9〜11日 東京国際貿易センターB館・C館
来場者数:12万4815人
【1987年とは?】国鉄分割民営化JR発足/ミニ四駆大ブーム/BOOWY「マリオネット」大ヒット/「あぶない刑事」TV放映/映画「マルサの女」上映
チューニングの更なる発展とカスタマイズの未来のため、東京エキサイティングカーショーから東京オートサロンとモデルチェンジされた第1回目です。12万人突破!! 凄いですね〜。で、目を引いたのは、ポルシェ・ベースなど海外からの出展でした。また、最高速も全盛期! Z、ソアラ、スープラ絶好調です!
【東京オートサロン1988】
1988年1月8〜10日 東京国際貿易センター東館・南館
来場者数:13万8910人
【1988年とは?】瀬戸大橋、青函トンネル開通/シーマ現象起きる/サザンオールスターズ「みんなのうた」ヒット/TV「ねるとん紅鯨団」が人気に
東京オートサロンとなって2回目、通算6回目のチューニングカーの祭典です。この時代になると、コツコツと仕上げていくチューニングカーやドレスアップカーと異なり、パーツメーカーやショップがトータルで仕上げるコンプリートカーが幅を効かせてきました。また、海外からも更に注目を集め、アメリカからSEMAの会長も視察にやって来た〜!
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東京オートサロン初年度から、昭和最後の年となった1988年まで見てきました。マシンの作りも綺麗になってきましたよね。
そうそう気が付きました? 「自動車メーカー系の出展が無い」こと。そう、まだこの時代は自動車メーカーにとっては「行くな、見るな、危険が危ない!!」なんですね〜。もぉ、本当は好きなクセに〜! 自動車メーカーの皆さんがモーターショーよりオートサロンに注目する(??)ようになったのは、もうちょっと先のお話です。次回その3は、昭和から平成に時代が移り変わった「超チューニング元年」へと進化していきます。
【OPTION 1987年〜1988年より(The LEGEND of OPTION)】
(Play Back The OPTION by 永光やすの)
【関連記事】
TOKYO AUTO SALON 2018公式サイト
http://www.tokyoautosalon.jp/2018/
「改造車の祭典」はオイルと排ガスの香りが漂っていた!? 昔の東京オートサロンを見てみよう! その1【Play Back the OPTION Spin off】
https://clicccar.com/2018/01/07/546355/
東京オートサロンの原点は「おしん」「東京ディズニーランド」と同じ年の「第1回東京エキサイティングカーショー」
https://clicccar.com/2017/01/25/439956/
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Source: clicccar.comクリッカー