いよいよ2018年東京オートサロンが1月12〜14日、千葉県・幕張メッセにて行われます。clicccarでも事前情報が多く掲載されていますので、今からワクワクしていらっしゃる方も多いでしょう!
東京オートサロンの前身は1983年から始まった「東京エキサイティングカーショー」です(第1回の詳細はコチラをご覧ください)。「チューニング」という言葉を世間様からはまったく理解してもらえていない時代ですので、今現在の東京オートサロンとはちょっと違う、オイルや濃い目のガスの香りが漂ってきそうな感じです。イイですね〜!
ということで、東京エキサイティングカーショーの時代から、第1回東京オートサロンへと名称が変わった頃のショーカーや、その時代っぽいキャンギャル含めて覗き見してみましょう!
東京オートサロン公式オフィシャルサイトでは2003年以降の東京オートサロンをプレイバックしておりますが、【Play Back the OPTION Spin off】では、それより以前で勝負です!?
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目次
【第1回東京エキサイティングカーショー】
1983年1月7〜9日 東京国際貿易センター東館
来場者数:10万2788人
【1983年とは?】東京ディズニーランドが千葉にオープン/TVでは「おしん」が人気/中森明菜「セカンドラブ」ヒット/映画「戦場のメリークリスマス」上映
「チューニングを文化に!」を合言葉に初開催となった第1回東京エキサイティングカーショー。発起人はOPT零代編集長・Dai稲田大二郎。間近でチューニングカーを見られる初のショーとあって、晴海の国際貿易センター東館のみの会場が、3日間で10万人を突破したのだから、日本中から改造車(敢えて)好きが集結したとも言えますね(更に詳しくはコチラもチェックしてくださいね)。
【第2回東京エキサイティングカーショー】
1984年1月14〜16日 東京国際貿易センター新館
来場者数:7万1397人
【1984年とは?】グリコ森永事件発生/エリマキトカゲ大人気/チェッカーズ「涙のリクエスト」ヒット
第2回は・・・アレ? 入場者数が減っています(汗)。どーしたんでしょうか・・・不明です(滝汗)。で、この年になるとインタークーラー付きターボ車が増えたことで、エアロパーツも人気に。それまでの見た目の厳つさ重視?から性能重視へと、エアロメーカーやチューナーも考えが進化していった時代です。人気はやはり、国産車初の300km/hオーバーを果たしたHKS・M300セリカやDRAG・Zなどでした。
【第3回東京エキサイティングカーショー】
1985年1月11〜13日 東京国際貿易センター新館
来場者数:10万3905人
【1985年とは?】「NTT」「JT」発足/つくば科学万博開催/「スーパーマリオブラザース」ヒット
東京エキサイティングカーショーも3回目ともなると各車のレベルもグンとアップ。切った貼ったのボディから美しいスタイルへと変化したチューニングカーが多かったのです。
その筆頭がマッドハウスが製作したMR2ラングヘッド。奇才マッド杉山渾身の作です。また、レノマ・ブランドが登場し、白いエアロが人気でしたが、一方漢気のチューナーたちはよりカラーリングに凝り始めた傾向も。
【第4回東京エキサイティングカーショー】
1986年1月10〜12日 東京国際貿易センター東館・西館
来場者数:10万3587人
【1986年とは?】伊豆大島・三原山噴火/「写ルンです」大人気/本田美奈子「1986年のマリリン」ヒット/映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」上映
チューニングが徐々に市民権を得始めた頃ですか。大胆なカスタムカーやオープンカーが目立つ中、比較的大人しめのエアロも多かったのは、公認取得車が増えたんですね。で、この年で「東京エキサイティングカーショー」の名称は最後となりました。
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駆け足ですが、第1回〜第4回の東京エキサイティングカーショーを見てきました。次の年、1987年からはいよいよ「東京オートサロン」と名称変更し、スタートです!
【OPTION 1983年〜1986年より(The LEGEND of OPTION)】
(Play Back The OPTION by 永光やすの)
【関連記事】
TOKYO AUTO SALON 2018公式サイト
http://www.tokyoautosalon.jp/2018/
東京オートサロンの原点は「おしん」「東京ディズニーランド」と同じ年の「第1回東京エキサイティングカーショー」
https://clicccar.com/2017/01/25/439956/
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Source: clicccar.comクリッカー