日本が生んだ伝説の名車たちを紹介する新シリーズ。国産市販バイクが世界の頂点に上り詰めた昭和44年(1969年)から現代に至る50年の間に登場した”エポックメイキングなロードスポーツ”をテーマに、数回に分けてお届けします。
目次
先進の多気筒化競争は6気筒にまで急発展。大型バイクに乗るには“限定解除”が必要に
世界ナンバーワンのバイクを作るのは日本のバイクメーカー。そんな時代が幕を開け、大排気量化と多気筒化の争いが激化していく。昭昭和50年(1975)には、それまで排気量の上限がなかった自動二輪免許に中型限定(400cc以下)が設定(小型自動二輪免許=125cc以下は昭和47年に導入)され、憧れの大型バイクに乗るためには、運転免許試験場で狭き門である”限定解除”試験に合格しなければならなくなった。以後、教習所で大型二輪免許を取得できるようになるには平成8年(1996)まで待つ必要があったのは、ベテランライダーならよくご存じだろう。昭和49年(1974)には北の湖が当時最年少で横綱に昇進。昭和54年(1979)にはオイルショックやテレビアニメ「ドラえもん」放映開始といった出来事があった。
国内最大の水平対向4気筒で登場 GL1000
巨大なアメリカ市場を独り占めしていた英国車をCB750フォアで一蹴したホンダだったが、Z1とそれに続く競合車の登場でシェアを奪われつつあった。そこでZ1を凌駕するスーパースポーツとして放たれたのが初代ゴールドウイングことGL1000だった。開発キーワードは「ザ・キング・オブ・モーターサイクル」。4輪メーカーでもあるホンダには創れても、他社では手を出しにくいフラット4(水平対向4気筒)エンジンで大人のためのスーパースポーツを目指した。ただ、アメリカのユーザーにはグランドツアラーとして親しまれたことから、後に量産車初のカウリング・トランク・サイドバッグを装備したフルドレスツアラーとして大成してゆくことになる。
世界初の量産ロータリーバイク RE-5
’52年以来、2スト専業できたスズキは、夢のエンジンといわれたロータリーエンジン(RE)の基本特許をドイツから導入、世界で初めてバイク用として実用化に成功する。REはおむすび形のローターがまゆ形のハウジングの中で回転する画期的な構造で、コンパクト&ハイパワー、そして低振動なのが特徴。RE-5では497㏄の排気量から62psという、レシプロの750㏄クラスに匹敵する性能を実現した。イタルデザインの創始者であるジウジアーロによる先進的なスタイルも話題となった。RE開発には設備だけで何10億という時代だったが、RE-5の出荷時期にオイルショックが重なり、悲運のグレートマシンとなった。
快速4発ミドル誕生 Z650
Z1の“ニューヨークステーキ”に対し、“サーロインステーキ”の暗号で開発された本気仕様のミドルZ。兄のお下がりではなく、専用設計のエンジン&シャーシが自慢で、Z2よりコンパクトな車体に一体式クランクをプレーンメタルで支持するなどした高度なエンジンを搭載した。その俊敏な走りから“ザッパー”のニックネームも持つ。
国産大型バイク初のオートマ車 EARA
CB750フォア-Kをベースに2輪初のホンダマチックを採用した技術革新モデル。シビックやアコードで実績のあるAT機構はローとスターレンジの2段式で、クラッチレバーは省略されている。普及には至らなかったが、現在のDCTに続くホンダのクラッチ操作レスへの意気込みを最初に示した記念すべき大型モデルといえよう。
ヨシムラとのタッグで世界制覇へ GS1000
2ストメーカーからの脱却を図り、スズキがロータリーの次に挑んだのが4ストエンジンのGSシリーズだった。まず、’76年にGS400/550/750が先行デビューを飾り、Z1を超える最速マシンとして’78年にGS1000が投入された。初の4ストエンジンは完全無欠の製品が目指され、全負荷200km/h耐久テストはなんと2万km。品質保証部が三勤交代で24時間テストを約4日実施したという。750並みに軽量スポーティに仕上げられた1000は、ヨシムラとのタッグによってAMAスーパーバイク初陣(GS 750改944cc)に続き第1回鈴鹿8耐では無敵のホンダRCBを一蹴して優勝。4スト最後発だったスズキは、一気に他の3社と肩を並べるに至った。
規格外の空冷4バルブ6気筒車 CBX
空冷4バルブ6気筒エンジンを搭載するホンダ最大のスーパースポーツ。コンセプトは’60年代のWGP250にて全戦全勝を成し遂げた伝説の6気筒レーサーであるRC166だ。排気量こそ4倍だが、カムシャフトの熱歪みや振動対策という細かい手法までもRC166に準じていた。チューブレスタイヤを装着可能なコムスターホイールや当時高価だったジュラルミン鍛造パーツなど、各所に散りばめられた先進パーツも見所ではあったが、なによりも6本のエキゾーストパイプを持つ美しい空冷エンジンが圧巻だった。そしてその6気筒が生み出す低振動でモーターのような加速感は、乗る者にかつて無い衝撃を与え魅了した。
メーカー製カフェレーサー登場 Z1R
世界的に流行していたカフェレーサーカスタムをメーカーが取り入れた当時の新感覚モデル。Z1000ベースにビキニカウルやシャープな造型の外装を装着。低いハンドルや集合マフラーを備えるなど、先進的な装備が光るモデルだった。写真はカタログを飾る1枚。夕日を浴びた流麗なボディデザインはポルシェ911 と並べても遜色がなかった。
Z1の集大成“角型Z” Z1000MkII
Z1000をベースに改良を加えたのがマークIIで、大きく変わった点は外観だ。丸みのあるZ1000とは異なる、力強い角型デザインこそがMkIIのアイデンティティで、Z1-Rのシャープさとも違う雰囲気となる。これは「近未来をイメージした」とされ、カワサキ=硬派の印象を確立。通称「角Z」の代名詞として現行車にも息づく。
1.3リッター水冷6気筒で世界の頂点に君臨 Z1300
Z1で大成功を収め、世界的2輪メーカーの仲間入りを果たしたカワサキが、自らZ1を凌駕する旗艦の開発に着手したのは’74年のことだった。コンセプトは「プレステージロングツーリング車」で、あらゆる面での世界最高を目指したことから、仕様は水冷直6で1200㏄、シャフトドライブの採用が当初から決定されていた。初期の仮想敵はホンダGL1000とBMW・R90S、そしてハーレーダビッドソン1200。開発が進むにつれてフェアリング装着および非装着車の二分化や排気量の拡大などが行われ、’79年モデルとしてZ1300発表された。装備重量は300㎏超、最高出力は120psを誇る規格外の怪物ではあったが、’89年型まで11年にわたって生産された。
ワークスRCB直系の遺伝子 CB750F
欧州の耐久選手権で「無敵艦隊」と呼ばれるほどの強さを誇ったワークスレーサー「RCB」のDNAを反映させた市販車がCB750F/900Fである。待望のDOHC4バルブ4気筒を優れた軽量シャーシに搭載し、ジュラルミン鍛造セパハンやアルミコムスターホイール、リヤFVQダンパーなどの先進パーツをフル装備した。 タンクからサイドカバー、そしてテールカウルへと流れるフローイングラインフォルムも人気の要因となった。欧州の900Fと日本の750Fは爆発的に売れ、何と’79~’81 年の3年間、独走のトップセールスを記録した。 エフはZの存在を乗り越え、 ’80年代につながる一時代を築いたのである。
絶対性能を求めて排気量を900に設定 CB900F
大排気量とすればパワーは出るが重くなる。その力と軽さの接点として誕生したのがCB900Fだ。エンジン外寸は750とほぼ同じながら、902ccの排気量からリッタークラスを上回る95psを発揮し、高い運動性を誇った。高速連続走行での耐久性を高めるために、オイルクーラーも標準装備する。
「昭和~平成を駆け抜けた国産名車たち [日本車LEGEND] (その1)」はこちらへ
Source: WEBヤングマシン