スポンサーリンク

【実録】4日間約1400kmに挑んだ「1955年式 ポルシェ550A 1500RS スパイダー」参戦記!

スポンサーリンク
スポンサーリンク

La Festa Mille Miglia 2018

ラ・フェスタ・ミッレミリア2018

ブレシア〜ローマを往復する1600kmにおよぶ都市間スピードレースとして1927年から1957年にかけて行われたミッレミリア。数々の伝説的なドラマを産んだこのレースの復刻版として1977年にイタリアで始まったクラシックカーによるレギュラリティラン、ミッレミリアの姉妹イベントとして1997年から始まった「ラ・フェスタ・ミッレミリア」が、10月19日に東京原宿の明治神宮からスタートした。

112台ものエントラントを集めた今回のトピックは大きくわけて2つ。ひとつは「ラ・フェスタ・ミッレミリア」の特徴のひとつでありながら、2011年の東日本大震災以来途絶えてしまっていた福島・東北ルートが念願の復活を果たしたこと。もうひとつはポルシェ70周年を記念してシュトゥットガルトのポルシェ・ミュージアムから4台のミュージアムカーが来日し、出走したことだ。しかも幸運なことに、ポルシェ ジャパンの七五三木敏幸社長のコ・ドライバーとして、4日間約1400kmにわたる冒険旅行に、1955年型の550A 1500RS スパイダーで参加することができたのである!

スタート地点となった明治神宮には朝から多数のギャラリーが集結。今回のエントラントで最も旧いモデルは1924年式のブガッティT22ブレシア。その他にも1926年式べントレー・スタンダード3リッターや1929年式アルファ・ロメオ6C 1750スーパースポーツなど27台もの戦前車が揃うのは、ラ・フェスタ・ミッレミリアならでは。

我々がドライブしたのは、1955年のポルシェ550A 1500RSスパイダー。シャシーナンバー「550-0064」をもつこの個体は、アメリカのプライベーター、デイヴィス・ニュートンにデリバリーされた後、彼の手で1957年から59年にかけて北米SCCAシリーズに参戦した履歴をもつ。1982年にポルシェ・ミュージアムが購入し、このほどレストアが完成したばかりという。

ミッドシップにマウントされたエンジンは1500ccの空冷フラット4、4カム(DOHC)ユニット。わずか550kgの車重に対し135psのパワーと146Nmのトルクを発生する。50年代のポルシェを代表するレーシング・エンジンのひとつだが、低回転域でのトルクも厚く、非常に扱いやすい印象。ただしエキゾーストノートはすさまじく、車内での会話は難しい。

今回のポルシェ・チームの陣容。我々のほかにも3台のドライバー、コ・ドライバー。さらに本国とポルシェ ジャパンからのメカニック、サポートメンバー、スチール&ムービーの撮影隊など総勢19名の大所帯。この模様はSNSで即日世界配信されたほか、後日クリストフォーラスなどのPR媒体、さらにポルシェ・ミュージアムでも展開される予定だという。

ゼッケン68の1955年式356A 1500スピードスターをドライブするのは、パティスリー・サダハルアオキ・パリのシェフパティシエであり、自身でも356を所有されている青木定治氏と、ジャーナリストの南陽一浩氏。このクルマは昨年の東京モーターショーに展示された個体で、ファーストオーナーがスピードスターの生みの親であるマックス・ホフマンというシロモノ!

ポルシェ・ミュージアムのマネージャーとして全ての所蔵車を管理しているアレキサンダー・クライン氏とドイツ人ジャーナリストのローランド・ローウィッシュ氏は、ゼッケン70のラーゴグリーンに塗られた1956年式 356A 1600スーパー クーペで出場。クライン氏は過去に5回以上、本国のミッレミリアとカリフォルニア・ミッレに出場した経験をもつ。

忙しいスケジュールを縫ってこのために来日したポルシェ・ミュージアムのアヒム・ステヤスカル館長とドイツ人ジャーナリストのミハエル・シュローダー氏がドライブするゼッケン71の1962年式356Bスーパー90。「日本の皆さんの見識の高さとクラシックカー文化に感銘を受けました。景色もルートも素晴らしい良いイベントでした。また必ず戻ってきます!」

大勢のギャラリーに見守られながら、19日の午後12時すぎにスタート。初日は代官山蔦屋書店を経由し、東北自動車道を使って一路福島へ。COという全体の設定時間のもと途中に点在するCT、VTと呼ばれるスタンプポイントと、PCと呼ばれる区間競技をいくつもこなしながら365kmを走破する。ゴールの裏磐梯レイクリゾートに到着したのは夜の8時すぎだった。

途中で何度か七五三木社長と交代してステアリングを握る。1速はかなりローギヤードだが、2速、3速がワイドレンジなので街中でも乗りやすい。驚いたのはその直進安定性で、高速道路では速度を上げていくとウイングもないのにクルマがピタっと路面に吸い付くように安定する。さすがは1950年代のル・マンの1500ccクラスを席巻した実力の持ち主だ。

幌はおろか小さなウインドスクリーンしかない我々を悩ませたのは、初日と2日目の午後に見舞われた突然の豪雨。ゴーグルは役に立たず、顔面に当たる大粒の雨はまるで空気銃で連射されているかのように痛い。しかしながらそういう状況でも、550にはまったく愚図るそぶりはない。ポルシェ・ミュージアムのレストア技術の高さとともに「耐久王ポルシェ」の真髄を見た気がした。

2日目は裏磐梯を拠点に飯坂温泉、白坂城、上杉神社、喜多方市など福島、宮城、山形をめぐる343kmの設定。8年ぶりの東北ルートの復活に沿道の人々から大声援で出迎えてもらったのが印象的だった。なかには「おかえりなさい!」とプラカードを持った方の姿も。この歓迎ぶりはドイツ・チームも感動したようだった。

終日晴天に恵まれた3日目は裏磐梯から那須塩原、そして成田へ向かう、4日間で最長の444kmの道のり。途中のレストポイントとなった天栄村のブリティッシュヒルズに参加車がパークする光景は、とても日本とは思えないもの! まさに移動するクラシックカー・ミュージアムといった雰囲気だ。

最終日の4日目も快晴に恵まれ、成田山新勝寺、九十九里、高滝ダムを経て、今回最大の難関である13連続PCが2本控える袖ヶ浦フォレストレースウェイへ。短い距離を指定秒数どおりに走るのはサーキット走行とは違うテクニックを要求されるが、愛車とパートナーと末長く楽しめるという意味で、オススメのモータースポーツといえる。

今回のサプライズのひとつ。なんとゼッケン74の荒木一実&辻本淳哉ペアの550Aスパイダーのシャシーナンバーが、ミュージアムカーと1番違いの0065であることが判明。まったく同時期にシュトゥットガルトで生産された「シスターカー」が62年の時を経て日本で再会したことには、アヒム館長をはじめ本国の面々も驚いていた!

「本格的にクラシック・ポルシェをドライブするのはこれが初めて」という七五三木社長。しかしながらすぐにコツを掴み、リズムよく550スパイダーを走らせるあたりはさすが。かねてからクラシック部門の強化を打ち出していたが「991や718ケイマン&ボクスターにはない、もうひとつのポルシェの世界、魅力を体験することができました」と語り、よりクラシックへの想いを強くしたようだ。

途中、雨、霧、暑さ、寒さに見舞われたが、ミュージアムカーの4台はガソリン給油と少々のオイル補充を行っただけで、まったくのトラブルなく約1400kmを走破して22日夕方、無事に明治神宮にゴール。なにより貴重なミュージアムカーを傷つけたり、壊したりすることなく、しっかりと完走させることができた安心感でいっぱい……といった表情。

ゴール後はヒルトン東京お台場でフェアウェル・ディナー&表彰式。天候と難易度の高いルート、競技に翻弄された4日間を制したのは、1928年式ブガッティT40をドライブした大ベテランの竹元京人&竹元淳子組! 我がポルシェ・チームのトップは、クライン&ローウィッシュ組の57位。七五三木&藤原組は75位という結果に。

すべてのスクジュールをこなし、ガレージに550スパイダーを戻した時、このクルマのレストアを手がけたメカニックのマーカスが、いの一番に駆け寄ってきて「グッジョブ!」と固く握手してきた(彼にとって可愛い我が子のような550スパイダーのステアリングを託すことは、さぞ心配だっただろう)。

もちろん、彼が行ったレストア作業が完璧で素晴らしいのは言うまでもないが、2018年の路上でドライブしてもまったく過不足を感じない550スパイダーの完成度の高さには、正直に言って驚いた。そして1953年の時点ですでにミッドシップのレーシングカーを完全に手中にしていたポルシェの技術力の凄さを実感した4日間でもあった。

REPORT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
PHOTO/ポルシェ ジャパン、藤原よしお
COOPERATION/ポルシェ ジャパン

GENROQ Web 編集部

Source: clicccar.comクリッカー

スポンサーリンク
スポンサーリンク