国産スポーツモデルが数多く誕生した1980年代、尖ったメーカーはヨーロッパ名門ブランドとコラボしてスペシャル車両を生み出すに至っていました。そんな日欧コラボ・チューンド車を紹介する本企画、第2回は『いすゞ・ジェミニ・イルムシャーターボ』の登場です。
スペック:いすゞ・ジェミニイルムシャーターボ(1986年)
エンジン・出力&トルク(カッコ内はLowモード)……4気筒SOHCターボ・120(105)ps/5800(5400)rpm&18.5(16.3)kgm/3400(3400)rpm
トランスミッション……5MT
1985年5月に初代のジェミニ(FR)と併売する形で追加発表されたのが『いすゞ・FFジェミニ』です。
これは全長4035mm(ハッチバックは3960mm)・全幅1615mm・全高1380mm・ホイールベース2400mmのコンパクトな5ナンバーサイズ・セダン&ハッチバックでした。
日本国内ではトヨタ・カローラや日産サニーなどとガチで戦うべく投入されたモデルですが、保守的なライバル達とは真逆の革新的でスタイリッシュなエクステリアが特徴です。
欧州車的なこのFFジェミニのデザインは、著名なイタリア人デザイナーで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンや『007』のボンドカーにもなったロータス・エスプリも手がけた、ジョルジェット・ジウジアーロのイタルデザインによるもの。ちなみにジウジアーロは世界的に有名なカロッツェリア・ギア所属時代に、いすゞ117クーペのデザインを手がけてもいます。
FFジェミニには当初、1.5L SOHC・86psのガソリンエンジンと1.5L SOHC・70psのターボディーゼルの2種類のユニットが用意されていました。
いずれも車重1100kg台のボディを走らせるには必要十分をパワーを持っていましたが、デビュー翌年の1986年5月に強力なターボエンジン・モデルが設定されます。
それがここに紹介する『ジェミニ・イルムシャーターボ』です(ちなみにこのタイミングでFRジェミニは生産終了し、車名から「FF」の文字が取れました)。
イルムシャーというのはドイツを拠点とするGM系列のチューナーです。レース活動やパーツ開発の他、オペル車を中心としたチューンドコンプリートカーのプロデュースも手がけています。
オペルの中型セダン・オメガをベースに前後にオーバーフェンダーをセットし、ルーフに迫る高さのリヤウイングを備えた『イルムシャー・オメガ・エボリューション500』などが代表作で、同車はDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)のベースモデルにもなりました。
さてジェミニ・イルムシャーターボに搭載されたユニットは専用開発された4XC1-T型1471ccSOHCインタークーラーターボです。このエンジンは最高出力120psを発揮させる『High』モードと、105psを発生させる『Low』モードを『ターボパワーセレクタースイッチ』で切り替えて作動させることができました。
サスペンションはノーマルと同じフロント・ストラット、リヤ・トーションビームでした(なおこのリヤに組み合わされるスプリングは円筒形ではなく、いすゞ独自の樽型ミニブロックコイルスプリングと呼ばれるものでした)が、これをイルムシャーがチューニングアップしています。
エクステリアにはフロント・サイド・リヤのエアダムが追加され、ボンネットにはインタークーラーへの導風を促すNASAダクトが装着されました。しかし、最もイルムシャーターボを強烈に印象付けたのはブレーキ用冷却穴が極小のカラード・ホイールカバーでした。
インテリアでは内装成形色がブラックで整えられ、レカロシートやMOMO製本革巻きステアリングホイールが装着されます。また、エンジン回転数感応型のパワーステアリングが標準装備されていました。
1987年2月にはジェミニ全体にマイナーチェンジが施され、フロントフェイスを中心に外観イメージが変更されます。
これと合わせてイルムシャーターボには追加モデルが発表されました。
それが1987年6月に追加されたモータースポーツベース仕様車『イルムシャーR』です。これはイルムシャーターボの特徴であったエアロパーツを排除し、フルホイールキャップも装着せず、さらにはレカロシートも装着されないという「じゃあいったいどこがイルムシャーなんだ?」と思える内容でしたがモータースポーツファンには好評を持って迎えられました。
このイルムシャーターボRは内外装を簡略化して軽量化しただけではなく、ステアリングギア比をクイックに変更し、サスペンションにはイルムシャーが『タイプC(コンペティション)』と呼ぶチューンを施してもいました。
さらに1987年5月には『イルムシャーRS』というモデルが追加されます。これは従来のターボエンジンに変えて4XE1型1.6L 16バルブDOHC自然吸気エンジンを搭載したものです。
この自然吸気イルムシャー第1弾モデルは、当初は様子見といった感じで限定200台で販売されました。
しかしこれは好評を博したようでわずか4ヶ月後の9月には第2弾が限定200台として追加されます。しかしこのときエンジンは再びターボに戻っていました。
この頃からジェミニに限らずいすゞにおけるヨーロッパブランド・コラボシリーズは多品種展開となっていき、マニアでも全モデルを把握するのは難しい情勢になっていきます。
(1985年10月には上級セダン『アスカ』、そして3ドアスポーツハッチバックである『ピアッツァ』にも2L 4ZC1型SOHCターボを搭載した『イルムシャー』が既に登場しており、ジェミニともども大好評で迎えられていましたが、いずれも限定車が多く設定されていて体系は複雑です)
いすゞはその後1988年に、かつてRSで限定搭載した1.6L DOHC16バルブエンジンを積んだカタログモデル『イルムシャーDOHC』を登場させます。と同時に競技仕様車『イルムシャーR 』のフロントにも同じ1.6リッターエンジンが積まれました。
ドイツの有力チューナー・イルムシャーが手がけたジェミニ・イルムシャーは短期間でジェミニの、そしていすゞのスポーツイメージを大きく躍進させました。
1990年にジェミニが3代目にフルモデルチェンジした際にもこのコラボ・シリーズは継続設定され、ハイパワー&ハイメカ化が進行しました。最終的には1.6L DOHCターボ・180psでフルタイム四駆の『イルムシャーR』が登場するに至るのです。
それまでほとんど知られていなかった『他ブランドが車両をチューニングして仕上げる』という概念。
ジェミニ・イルムシャーは、『シャレード・デ・トマソ ターボ(第1回で紹介)』とともに、成熟した西欧自動車文化を日本に広く知らしめた存在でした。
(文:ウナ丼 写真:いすゞ自動車)
あわせて読みたい
Source: clicccar.comクリッカー