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■「たま」から始まった、日産EVの歴史を振り返る ●日産とは:もともとは財閥系だが今はルノーとアライアンスを組む国際企業 日産の礎を築いた鮎川義介 1910年(明治43年)、山口県生まれの鮎川義介は福岡県に戸畑鋳物という会社を設立します。一方、1911年に愛知県出身の橋本増治郎が東京に快進社自動車工場を設立します。 1914年(大正3年)、快進社自動車工場に出資した田健治郎、青山祿郎、竹内明太郎の頭文字を取って名付けられたダット自動車(脱兎号)を完成させます。快進社自動車工場は後の1918年に快進社となります。 1919年にはアメリカ人技師のウィリアム・R・ゴルハムが3輪自動車を開発、このゴルハム式3輪車を製造する会社として、大阪に実用自動車製造が設立されます。 1925年には快進社が販売強化のためにダット自動車商会を設立。1926年にはにダット自動車商会と実用自動車製造が合併し、ダット自動車製造となります。 1932年に製造されたダットソン1号車 1931年(昭和6年)には、戸畑鋳物がダット自動車製造を傘下に収めます。1932年ダット自動車製造は第1号を製造、ダットの息子ということで…
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